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| 「ドキッチも出場していた!!!」 |
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ツアートーナメントでは上位ランク者は第1シードから順にシードされる優遇を受けるこ とができ、比較的容易にトーナメントを勝ち進み、結果ベスト8や4、決勝などはシード された選手どうしの対戦になることがほとんどである。 ランキングを決定するポイントの 獲得は結局シード選手で分け合うことになるのである。このようなシステムの中では新興 勢力が勝ちあがっていくことは、シード選手と対戦し勝つことに他ならないわけである。 予選や1回戦から勝ちあがるタフな体力、シード選手と互角に戦う技術とパワー、トップ ランカーに勝んだという強い精神力、さらにドロー(対戦相手)やコンディション、開催 地の気候やコートのサーフェイス(芝・クレー・ハード)等、色々な条件を克服してシー ド選手に勝つことはやはり難しい。 1998年10月、一人の少女が大阪市うつぼテニスセンターで行われた世界スーパー ジュニアテニス選手権大会の少女シングルスを制した。大きな将来性を感じさせる選手で 有ることは、私を含め大会を見守ってきた関係者だけでなく、観客のだれもが感じたこと であったはずだ。その16歳の少女はかわいらしいと思わせる印象とはかけ離れたテニス をしていた。完膚なまでに相手を攻撃し、戦意喪失させるスタイルで今までも勝ちを重ね てきたのだろう。 好戦的なガッツポーズで威嚇し、挑発的な言葉をなげかけ、イージーボ ールには強烈なスマッシュを容赦なく打ち返した。同じく行われている少年トーナメント では、マインドコントロールが未熟なためのオーバーアクションは良く見かける。 しかし 彼女の態度は未熟な精神がそうさせたのではなく、効果まで計算されたものに見えた。 まちがいなく本物だ。世界ジュニアランキング1位だった。 その肩書きは常に挑まれ、そし て勝ち続けてきた結果だが、彼女はただ勝つだけではなく対戦相手に「これからも私には かなわないのよ」と言う精神的なダメージまで植え付けておきたいのだろう。 16歳の少 女はすでにプロの掟を知るだけでなく実践していた。 その名前を次に見たのは翌99年のウィンブルドン1回戦の新聞記事だった。 「女王ヒンギス、1回戦で敗れる。」 「新星ドキッチ、ヒンギスを破る。」 あの子だ。やはり本物だった。 まだジュニアの年齢でありながらプロデビューをはたし、ウィンブルドンでトップランカ ーを破り、ベスト8という結果をさっそくだした。東欧出身の彼女の家族はオーストラリ アに移住し苦労をしてきたことや、ウィンブルドンに参加していた時も宿泊ホテルは安価 なビジネスホテルのようなところに泊まっていること。そんな彼女の背景が記事になって いた。そうか強さの源はハングリー精神だったのか。プロになりたいではなくて、プロの 選手として生きていかなくてはならない現状が強い彼女をつくっていた。 紆余曲折あったようだが今年のシドニー五輪に地元オーストラリア選手として出場する ようなのでまた注目したい。 そして今年も世界スーパージュニアテニス選手権大会にはどんな選手がやってくるのだ ろう。 10月がまちどおしい。 |
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