新春懇話会 山口彦則氏講演

   
演題 「子供は魔法の鏡を持つ」
―不思議な体験―
 私は、指導者としてではなくまだ自分が体操を行っていた頃に、一度だけ奇跡的に不思議な体験をした事があります。その出来事は私が高校3年生の時に岡山で開催された国体で起こりました。

  私が高校1年生だった時、先輩のある3年生が熊本の国体で、鉄棒で9.7という最高の得点を取りました。9.7という数字は完璧な得点です。先輩は私たち後輩に「悔しかったら9.7を取ってみろ」と毎日自慢するんです。私はそれに刺激されて、「よし、俺も全国大会で9.7を取ろう」と思って自分なりに必死の努力をしました。

  そして私も3年生になりいよいよ岡山の国体が始まりました。私が9.7を取れるとすれば、平行棒か鉄棒です。
  最初に平行棒があったんですが、着地でポンと跳んでしまったんです。ポンと跳ぶと0.1減点されるので、それまで9.4が最高だった私は「あぁ。9.3か9.4ぐらいだろう」と思い、席に戻り鉄棒の準備をしていました。すると同僚が「おい!山口!山口!」と私の背中を叩くんです。それと同時に会場が「ワァー」とざわめきました。得点掲示板を見ると、「9.70」という数字が出ていました。その時、その不思議な現象が起こりました。パチンコ屋の前にあるような大きな花輪が、ファーと会場にいくつも咲いたんです。「あっ。これはバラの花だ。また咲いた。また咲いた」そうしているうちに、会場一面が花園のようになりました。その後、感動する事は何回もありましたが、バラの花が咲くという不思議な体験は二度と起こりませんでした。
   
―努力する過程が大事―
 岡山の国体が、私の人生を変えてしまいました。当初、家計が苦しかったので就職する予定で清風高校へ入学したのですが、私の恩師の田中先生や校長先生のお陰で、日本体育大学へ入学させてもらい、清風高校に指導者として戻って来る事になったのです。

  指導者になってからも感動する事はたくさんありました。例えば、具志堅幸司という選手に、私はものすごく感化されました。それまで私は、生徒をどつくという事はあまりなく、どちらかというと丁寧に教えていました。ところが、そういう事をしていても全国インターハイで勝てないんです。対する相手の監督は天才です。天才に勝つにはどうしたらいいのか方法がわかりません。結果的に私の選んだ練習は簡単で〇か×になりました。〇ならばうなずき、×ならどつきました。

  体操では、つま先がぱっと開くと0.1減点されます。どうしたらつま先が揃うか、その教え方が解らないので、子供達の足を畳を縫う針で突き刺しました。「痛いか?痛かったらいい。神経がきてる証拠や。神経きてたら足揃うやろ。足揃えんかい」
  真夜中の2時に叩き起こして練習をさせてみたりもしました。起きてすぐには力が入りません。それでもやらせるんです。鉄棒でも3回位やると握力の限界が来て誰かが吹っ飛ぶんです。私が「大丈夫か?」と聞くと「大丈夫や」と言います。「勝つためには誰かが怪我しても、誰かが死んでもそこまでやらなければいけない。もし大怪我したり、死んだりしたら自分も後を追って死ぬからな。清風のチームはそこまでやらなければいけないんだ」と言う気迫でチームを鍛えて、自分にも言い聞かせました。
 そこまでやって具志堅というエースを筆頭に九州での全国インターハイに臨みました。それでも1日目、沖縄の高校に0.05負けて2位でした。その時、「人間ってあかんなぁ。能力には勝てないなぁ」と思いました。悲しくて悲しくて家に電話して「俺は情けないなぁ」としゃべっていました。お袋ってありがたいですね。「日本で2番って素晴らしいじゃない。私はあなたを誇りに思っている」と色んな言葉で私を励ましてくれました。30分泣いたら目の前のもやがすっと晴れました。

「人間結果じゃないんだ。いかに努力するか、その過程が大事なんだ」。

  それから私は全ての大会に関してそれほど怖くなくなりました。結果は神様だけが知っている事で、私も生徒も精一杯やったと思えるようになったんです。そう思ったので翌日のミーティングでは「皆に清風の演技を見せろ。成績、点数の事は一切関係なく今までやってきた演技を見せろ」と言ったら逆転して優勝できたんです。2連勝できました。うれしくてうれしくて道を歩いていても、「俺は優勝監督や」とそんな事を自分で思っていました。
   
―悪い所を叱るより、良い所を誉めよう―
 優勝して5年くらいした時に、家内に「あなたって情けない人やね。普通は優勝したら立派な人になると私は思っていた。あなたは2連勝してアホになった」と言われました。同時に私も「俺は情けないな。優勝するんじゃなかったな」と思っていました。

それまでは「どんな子供でも努力すればオリンピックに行けるんだ」そういう信念で子供たちを説得し、自分もそう思っていました。しかし優勝したために、変に目の前が見えてしまっていたんです。「この子の持っている才能だと、うまくいって全国で10番〜20番だ」という感じになっていたんですね。
 なんとかしなければいけないって事で、池谷、西川、山崎、荒牧、この4人を中学1年生の時から集めて6年計画というプランを実行しました。彼らが高校3年生になった時に、私にとっては13年ぶりの3回目のインターハイ優勝を目指そうという事です。
 そして中学生第一日目、私の前に紺の学生服で4人が揃いました。目がらんらんと輝いて、私が体操の事、学校での心がけなどこれからの事をしゃべるたびに、目元口元を見てうなずきます。20分くらいは真剣にじ〜っと話を聞いていたんですが、一人の子が動き出したんです。体育教師の悪いクセで、「ちゃんとしろ!」と言ったら、すぐにきおつけの姿勢を4人とも取り直しました。さっきまであんなにニコニコして私の目元口元を見てた4人ともが一瞬さっと彫刻のような顔になりました。と同時に、「しもた!」と思いました。まずいと思ってその後冗談を言ったりしたけれど、もう笑顔は出てきませんでした。 「また俺はやってしまった。6年計画で中学生を集めてきた第1日目に失敗してしまった。」

 教育に「3つ教えたら2つほめろ」っていう言葉があります。私はどついてめちゃめちゃして全国を制覇しました。ある年、岡山での全日本選手権大会で、優勝して当たり前の具志堅が3位でした。しかし、彼のお父さんは悪かったって事は一言も言わないんです。「幸司はえらい。幸司はえらい。おめでとう。うれしい」と言われました。そして最後に、「これが金メダルやったらもっとうれしい。」とおっしゃいました。その後具志堅はロスで金メダルを2つ取りました。その99%は親が取ったんだなと私は思いました。そんな事があって「よし!誉めてみよう」と思えたのです。

  それからの指導は全部誉めに変わりました。1日鉄棒を20回位やって、いいのは2回位です。昔は「お前は何をやってんねん。1時間練習してたったの2回やんけ。あと18回何やってんねん」と言って叱りました。しかし今度は逆に、「10回目位と15回位目のあの2回はよかったな。明日は良いのが3回になるようにがんばろうな」と誉めるように変えていきました。

その後池谷ら4人は、中学1年生から3年生までの3年間の間ずっと日本一になり、 6年計画の4年目で、インターハイ優勝という夢を叶えました。もっと上を目指そ うという事で池谷と西川はソウル・バルセロナオリンピックを目指す事になりました。

 池谷と西川がソウルに行く事が決まりました。校長先生が会場を見ておく事も大事やろうと言われたので、ソウルに行く事になりました。あの子らは、1日練習を休むという事はありましたが、2日続けて休むって事は過去に1度もありませんでした。体育館を見学した帰りに「先生、靴買ってもいいですか?」と言ったので靴屋に寄りました。ぺちゃくちゃしゃべりながら、靴を選んでいるんです。私は10分か15分位だろうと思ったんです。ところが、時間を見たら30分経っていました。1時間経った時「このガキめ」と思いました。しかしふっと我に返って、この2日間練習はないって事でこんなに喜んで、今2人は靴を買う事でキャッキャッ騒いでいる。今現在が本当にリラックスして楽しんで、そしてエネルギーの充電をしてるならば、これは我慢すべきだろう、と考えたんです。結局彼らは3時間かかって靴を12足ずつ買いました。
 その夜、一緒にソウルに行った朝日テレビのアナウンサーが、「私はあの3時間、山口先生が彼らと同じようにしゃべっている姿を見て、すごい監督さんだな。と思った。普通の監督さんなら、「おい、帰るぞ」そういう指示を出されたはずだ。けども山口先生はニコニコ3時間笑っていた」と言いました。「いや、違うんですよ。私も1時間くらいの時にパニックになったんですよ。しかし彼ら2人の今の現状を見ると、また明日からつらい練習が始まる。そういう事を考えると、ここは我慢すべきだ、そう思っただけですよ」




 
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